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三哩競泳嫁島沖先頭到着の光景
松江の遠泳競技は、明治33年雑賀町の少年たちによる、湯町鼻から嫁が島までの競泳が最初だといわれています。
裏の消印が明治43年1月なので、この絵葉書は明治42年の夏頃であろうと推察できる。
明治末には、旗取や西瓜取などの娯楽的な水上競技大会が開かれていた記録があり、この様子の写真であろう。三里とあるので12キロの遠泳であろうか、嫁が島沖に多数の舟が集まり遠泳到着を応援している。
大正6年には天神裏に水泳場が開設され遠泳競技も更に盛んに行われていました。
今では考えられませんが、宍道湖は水泳競技になくてはならない場所だったようです。
戦後になり次第に宍道湖の汚染が進み、昭和31年の市民遠泳大会を最後にプールへと移っていきました。
昭和33年7月宍道湖の遊泳は禁止となりました。
【年代】 明治42年 【発行】 福井写真館発行
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