松江絵葉書ミュージアムTOP>>鉄道>>松江停車場 着前の汽車

松江停車場 着前の汽車

松江停車場 着前の汽車

鉄道開通直後の松江の人々の鉄道利用の様子を『山陰新聞』から見てみたい。

(1)乗降客数、貨物
開通初日の松江駅では815人が乗車し、1176人が駅に降り立った。
また、発送貨物量は7563斤(およそ4.5t)、到着貨物量は6401斤(およそ3.8t)であった(『山陰新聞』明治41年11月10日「松江駅の乗降客」)。

(2)松江駅の「初荷」
それでは、松江駅で初めてとなる鉄道貨物はいかなるものであっただろうか。
松江駅から発送した初荷は白潟本町の土谷連之助が鳥取県倉吉に送った反物と、寺町の西谷定一郎が米子に送った棉花であった。
逆に、松江駅に到着した初荷は米子からの鮮魚と荒島からの荒島石であった(『山陰新聞』明治41年11月9日「汽車開通の初荷」)。

(3)小学生の汽車旅行
開通から3日目の11月10日、内中原尋常小学校の児童350名は教員に引率され、鉄道で近隣を「旅行」した。おそらく松江市内の小学生の遠足での初の鉄道利用であろう。
同校の児童と教員はまず、揖屋に向かい、余った時間を利用して荒島駅に行き、午後5時に学校へ帰着した。
新しく登場した鉄道をさっそく遠足に利用したこうした試みについて、新聞記者は「松江市小学校汽車旅行の白眉」であると高く評価している(『山陰新聞』明治41年11月11日「汽車旅行の白眉」)。

【年代】 明治41年 【発行】 今岡商店発行 絵葉書用ガラス乾板