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京橋川病院前の景
病院とは松江病院のことで、現在の日本赤十字病院の場所である。
栄橋と鍛冶橋の間の風景である。
写真では左が甲部橋、真ん中に鍛冶橋が写っている。
川と湖の町である松江の堀川は、住民の生活に欠くことのできないものになったのは、江戸時代に水上交通が発展してからである。
宍道湖から松江に入った舟は、堀川や枝川沿いに市内のあちこちに行くことができた。
同じ川の呼び名も場所によって異なり、片原土手の片原川、東へ行くと京橋川さらに御舟屋川となり大橋川へと流れている。
赤ん坊をおんぶした子供、入院中の衣装のような子供たちなど当時の風俗がよく分かる。
左の建物は、木実方(きのみかた)跡である。
松江藩で1748年に蝋(ろう)、蝋燭(ろうそく)の生産、販売をするために創設されたものである。
明治23年には、私立中学修道館となり、40年には松江市立工業学校修道館となった。
この写真当時は工業学校の時代と推定される。
現在の松江工業高校の前身である。
【年代】 明治40年〜45年 【発行】 今岡商店発行 絵葉書用ガラス乾板
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